ヒジャブを被った料理人
アスニアル
インドネシア
2011年に来日し、インドネシアで自分の店を持つほどのミシンの技術を活かし、豊橋市の縫製会社で働きました。2013年から西尾市に引っ越し、現在は2人のお子さんを育てながら、西尾市の工場で働いています。2021年から、料理の腕を活かして週末限定のインドネシア料理の店をオープンしました。
日本語はどうやって覚えましたか?
来日した時は、日本語が全く分かりませんでした。しかし、当時働いていた会社で、毎朝本を読む時間がありました。社長をはじめ周りの人が、ふりがなを付けたり、言葉の意味を教えてくれました。今は「ひらがな」は分かるけど、「カタカナ」はまだ難しいです。
日本語は、まだ分からない時もあります。でも日本人は私が分かるまで、ゆっくり説明してくれるのでうれしいです。自分が頑張らないと何もできないから、これからも頑張ります。
どうしてインドネシア料理の店を始めようと思ったのか?
家ではいつもキッチンにいるほど料理が好きで、よく友達のために作っていました。たまたま会社の持っている部屋に空きが出たので、社長や保健所に相談をしました。社長がとてもサポートしてくれました。社長が部屋の改装をはじめ、テーブル・椅子・冷蔵庫も準備してくれました。私は周りの人にとても恵まれていると思います。
これからの目標はありますか?
将来は永住権をとって、これからもレストランを続けていきたいです。